2017.1.23
大正12年に創業し、職人の街である住江町で94年もの間営業してきた老舗陶器店、陶舗さの。
小ぢんまりとしているが存在感のある店構えで、スキップフロアになっている独特なつくりの店内には陶器やグラスが所狭しと並んでいる。
―達人のルーツ―
陶舗さのは元々、明治時代から浅草にあった店の出張所であった。
大正12年、関東大震災の影響で浅草の店がなくなり、その時、お父様がこの青梅の店舗を譲り受けた。立川にしようか迷った結果「田舎に行くのはいやだ」ということで青梅を選んだそうだ。
その青梅で佐野さんは生まれた。
名前は“誠”と書いて“せい”と読む。お父様が命名されたそうだが、まずこの美しい名前…名づけのセンスに心惹きつけられた。
お父様は佐野さんが小学1年生の頃に46歳という若さで他界され、店の切り盛りはお母様がされていたという。
店を継ぐことになったのは23歳の時で、陶器店の仕事はすべて一人で身に付けた。
当時を振り返り佐野さんは、相談相手がいなかったから問題はすべて自分で解決するしかなかった。きっとそれがよかったんだな」と語る。
―目利きの才能―
陶舗さのには、高名な作家の手による高価な作品も多く取り扱われている。
本物を手に入れるにはそれを選びとる目が当然必要となるが、佐野さんの目利きの才能を示すこんなエピソードがある。
高校卒業した佐野さんは岐阜に2週間遊びに行き、旅先である器に出会った。
当時陶器の知識などまるでなかったが、清水卯一というその作家の作品に魅せられ有り金すべてはたいて器を購入したという。
帰ると母親にひどく怒られたが、当時無名であったこの作家は後に人間国宝に認定されることとなる。
“目”というのは鍛えられるものかという質問に対しては
「いいものを見る目というのは生まれ持ったものだろう。よくわからないけどな」との事。
―人生の極意 「ワルであること・楽しむこと」―
佐野さんは、その職業イメージからすると対照的に、バイク乗りなのである。
日本に一台しかないという佐野さんのお宝HONDA XL175はお店の裏に大切に保管されており、バッテリーさえ積み替えれば今も現役で走る。
20代の頃「ケンカより面白い」と、鈴鹿サーキットの24時間耐久レースにはまり、その時に立ち上げた青梅ファントムクラブは今も活動し続けているのだという。
想い出話をしながら普段滅多に見せない笑顔を浮かべていたのが印象的だった。
また茶道のたしなみもあるとのことで、話は小河内で最後のかやぶきから作ったという“茶さじ”に移り…。
―達人の言葉―
青梅で生まれ育ち、ご両親から受け継いだ店を半世紀以上守り抜き、今もなお商店会長として活躍し続ける青梅の達人、佐野さんの言葉。
「一度しかない人生、楽しむということを大事にしている。青梅が一番好きだから、これからもやっていきたい。」
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