2017.7.27
青梅駅と東青梅駅のちょうど中間あたりに位置する青梅織物工業協同組合の敷地内には、かつての織物加工工場を改修し貸しアトリエとして利用されているSAKURA FACTORY(さくらファクトリー)というノコギリ屋根の建物があります。
そしてここに、向 貞江(むかい さだえ)さんが主催する「青梅夜具地夕日色の会」のブースがあります。
今回は、今ではもう生産されることのない貴重な青梅夜具地を収集・保存し、後世に残していくための活動をされている向さんと夕日色の会についてお話を伺ってきました。
―達人のルーツ―
青梅のご出身であろうと勝手なイメージを持っていたのですが、向さんは山口県のお生まれで、ご結婚を機に上京されたそうです。
立川での生活が長かったそうですが、子どもの教育や障がい者福祉に関わるお仕事をされていた向さんは、そのお仕事の都合でよく青梅まで来られていたそうです。
―夜具地との出会い―
向さんは、ご自身でも子育てをされる中で、子どもへの教育ということに関心を抱くようになったそうです。そして、それが子育てに悩みを抱える母親の相談役となることに繋がり、そうしたところから活動の幅は更に広がり、次第に障がい者との関わりに発展していったのだそうです。
特に、当時は理解が得られないまま十分な社会的支援を受けられずに行き場を失っていた精神障がい者の方たちに着目し、少しでも街で暮らしやすくなるようにと当時は週に1回、青梅の事業所で活動をされていたそうです。
ちなみにこの活動、場所を変え、規模も縮小しているものの、開始から15年経った今も継続されているそうです。
そうした活動の中、グループの方が織物好きの向さんにとプレゼントしてくれたその織物こそが青梅夜具地でした。
―情熱のオレンジ、夕日色の会―
プレゼントされた夜具地がきっかけとなり夕日色の会の活動が始まります。
会の名称である「夕日色」というのは、言わずもがな、あの青梅夜具地独特のオレンジ色のことを表わしています。会発足の当初、メンバーの方の発案でこの名が付けられたそうです。
会の主な活動内容としては、夜具地の収集・保存に始まり、生産に携わった関係者の方たちにお話を聞くなどの調査活動、そして展示会の開催などです。
これまでに収集された夜具地の数はというと、現在写真撮影しながらカウントしている最中だとのことで正確な数を知ることはできませんでしたが、保管庫にきれいに積み重ねられた大量の生地を一目見ただけで、それらを集めるためにどれほどの労力が注がれたかは想像に難くありません。
―青梅夜具地の魅力とは―
織物好きで、もちろん他にもたくさんの魅力的な織物を知っていて、尚且つ青梅のご出身でない向さんが青梅夜具地にこれほどの情熱を注がれるのはなぜなのか、率直に質問してみました。
「とにかく見たことのない夜具地(布団に使用される布地)のデザインに驚いたというのが最初の印象でした。これは青梅にしかない素晴らしいものだと。そして、夜具地としての需要がなくなっていく中で廃棄処分されている状況などを知り、ならばなくなってしまう前に一枚でも多く残しておかなければと思って。」
青梅夜具地の魅力の一つとして、デザインの多様性があげられると思います。実際、夕日色の会で所蔵している中に同じデザインの物は一つとしてないそうです。その理由は、当時の生産体制が大きく影響しているのだとか。
青梅夜具地は、大きな工場が大量に作るというだけでなく、農業のかたわら数台の機で生産に携わるといった人たちが多くいて、多い時には実に750軒に及ぶ機屋さんが存在していたそうです。
北海道から九州、また海外へも販路を広げていき、そうした中でデザインが変化し、染め、織も変化していったことを残された夜具地から知ることができます。
青梅夜具地はまさに、青梅の織物文化そのものであると言ってよいのではないでしょうか。
そして実は、青梅夜具地の特徴はデザインもさることながらその織り方…製法にあるのだということも教えていただきました。
…が、残念ながらここでは書ききれませんので、詳しく知りたいという方は是非、夕日色の会をお訪ねになってください。
―達人の言葉―
今回、夜具地のお話しを通じて、自分がすべきと決めたことを直向きに継続されている向さんの真摯な生きざまに触れ、夕日色の会も、精神障がい者の方たちとの活動もそれらはどこか繋がる部分があるように感じました。
そして青梅の生まれでなかったとしても、向さんは紛れもなく「青梅の人」なのだと感じることができました。
そんな青梅の達人、向さんの言葉。
「物の価値への感じ方は人それぞれだけれど、その地、人々が守り続けた自然、今日までの歴史、残されたもの、経験、知恵といったすべてのものを大事にしていきたい。
そして、その上に新たな文化を創造し、次世代に繋げていく努力をしなければならないと思う。青梅の、私たちの財産を守っていくために。」