2016.10.24
今年、オープンから16年目を迎えるグラスワークスタジオminamo。
青梅駅のロータリーをまっすぐ南へ、旧青梅街道を横切ってすぐのところにショップ兼アトリエを構える。
その穏やかなたたずまいは街の景色に溶け込むようであり、簗瀬さんの人柄がそのまま表れているように感じる。
―達人のルーツ―
簗瀬さんは宮崎県出身。
お茶畑を営んでおられたご両親とともに豊かな自然に囲まれて育ったため、いわゆる「田舎」の景色や水、空気、そうした環境に強い愛着をもっている。
例えばminamoという屋号はその響きのとおり、ガラスの表面の微妙なゆらぎを水面に見立てたものであり、作品に虫をモチーフにしたものが多いのも、自然やその中にある生命を表現するという作業の中でできてきたものだという。
―ステンドグラスとの出会い 「イメージをカタチに」―
もともと絵が好きだったという簗瀬さんだが、高校卒業後進学を機に上京し、入学した専門学校では2年間みっちり版画を学んだそうだ。
その後、2つ目の就職先で初めてステンドグラス作品の制作に携わることとなる。
ステンドグラスとの出会いの時期が想像していたより遅かったのでこれについて質問すると、「何をやりたいかということよりも、自分のイメージをカタチで表現するために最も適した方法を常に探していたのだと思う」と簗瀬さん。
―職人として独立 「空き店舗をアトリエに…」―
3年勤めた工房を退職し、同僚と共にマンションの一室に工房を立ち上げ独立。
この青梅のアトリエに移ってきたのはそれから更に6年ほど経った頃だ。
国分寺から昭島、拝島と拠点を移してきたが、故郷を思わせる自然と、独特なレトロの町並みに惹かれ「自分の店を持つなら青梅」と決めていたのだが、なんといっても大変だったのが物件探し…。
ずっと狙っていた空き店舗のオーナーさんと何とかコンタクトがとれ、自分の作品を持って交渉に臨む。
前に断られた人もいるという噂に不安を感じていたが、思いが通じたのか店舗を貸してもらうことができた。
次は元飲食店だったこの店舗をアトリエにする改修工事…。
資金も少なかったため地元の職人さんとともに自ら作業をし、何とか開業にまでこぎつけた。
―達人の言葉―
たった一人で始めたアトリエも今年で16年目。
誰も知らなかった街で商売を始め、今では青梅になくてはならない存在に。
そんな青梅の達人、簗瀬さんの言葉。
「青梅はいい街だよ。もちろん辛いこともたくさんあったけれど、自分の大好きなものがいつでも目の前にあることは幸せだな」